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【バイオグラフィ】MEW BIOGRAPHY(1990-2003)

彼らのストーリーは1990年、デンマークのコペンハーゲンに始まる。

JonasとBoが7th Gradeの時、学校である計画を共に進めることになった。
それはOdysee と名付けられた超現実主義的なショ−トフィルム製作で、
人類の自然破滅を表現した作品であった。

結果としては奇妙なイメージの寄せ集めとなったが、その不器用な編集作業を
共に進めた道のりは、JonasとBo(Boが映像の企画と指揮をしたそう)の友情を
育み、親友となった。そしてその後、彼らはバンドを組むことを決めた。

彼らの最初のバンド名は完全に造語的なものであったが' Whorehuss 'に決めた。
Boはギター、Jonasは歌も演奏の経験も全くないまま ボーカルとして、彼らは
わずかに曲を書き始め、デモをいくつか レコーディングした。

けれどもその数年後、Boはアメリカへ1年間の交換留学生としてデンマークを
離れることになった。この出来事により、彼らはこのバンドへの計画を
延期せざるを得なかったのである。

Boが不在の間、Jonasは'Chien Orange'(Orange Dog in Frenchと言う
意味だそう)と言う新しいバンドのメンバーになっていた。このバンドの他の
メンバーには、最終的にベースプレイヤーとしてMewに加入することになる
Johanがいた。

1年後、Boがアメリカから帰国。彼もこのグループのメンバ−となった。
その頃何度かラインナップが入れ代わり、そのグループは
'The Degenerates 'と名付けられた。そしてAlternative系の彼ら自身の
音楽スタイルを発展させ始めたのである。

その頃、彼らはまだ全員ハイスクールに在籍していたが、それ以外の時間は
全てと言っていいほど、音作りと練習に向けられた。

1995年の夏、在籍していたドラマーと入れ替わる形でSilasが加入。
現在(2003年当時)のMewとして知られる4人のメンバーが顔を揃えたのである。

Mewの最初のライブはその年の暮れ、寒い12月に行われた。そして
Mewのパフォーマンスに魅了されたエージェントの1人、Jim Holmが
その時の彼らを見ていたのである。Jimはメンバーと契約し、彼らは
デンマ−クを巡るコンサートで演奏を開始、そのパフォーマンスは、
多くのスカンジナビアのレーベルから注目を集め始めたのである。

1997年、彼らはスカンジナビアのレーベル:Exlibrisとの契約に
サインすることになった。Jim Holmはその後、このレーベルの
A&R責任者となる。同年1月、彼らはデビューアルバムの製作に
取り掛かった。Boston(US)出身のバンドSwirliesの
ギタリスト/ボーカリスト:Damon Tutunjianにプロデュースを依頼した。

同年3月、デビューアルバムのリリ−スに先駆けシングルをリリースする。
そのシングルは"I should have been a Tsin-Tsi(for you)".
これは一般リリースではなくプロモーション用としてのリリースだった。
その曲は頻繁にラジオで流され、彼らは大きな飛躍の機会を得るのだった。

1ヶ月後の同年4月、デビューアルバム「A Triumph For Man」をリリース。
リリースと同時にすぐさま賞賛を受け、デンマークのベストニューアーティストに
ノミネ−トされる。しかし残念ながら、受賞は' Aqua 'と言うミュージシャンだった。

その後、彼らはデンマークを巡る大規模なツアーに出る。翌1998年には
デンマークのロックフェス、' Roskilde Festival' に出演。そしてこの年、
次のシングルとしてKasper Windingプロデュースによる、彼らの名曲
"She came home for Christmas" がリリースされた。

その頃にはすでに、彼らは次のアルバム製作を決心していた。
1999年2月、コペンハーゲンのSweet silence studiosで
このレコーディングをスタート。アルバムはFlemming Rasmussenと
Morton Sideniusの共同プロディース/エンジニアで作業が行われた。

しかしレコーディングから2ヵ月後、バンドに大きな影響を与える出来事が起った。
彼らのレーベルExlibrisが突然倒産したのである。

※Exlibrisは現在存続しています。「倒産」としたのは、原文にそう受け取れる
単語が書かれていたためです。しかし海外のウェブ上に掲載された
mewバイオグラフィーなどでは、「レーベルを離れた」と言うニュアンスでのみ
書かれているものもいくつかありました。そのため、当時Mewが
Exlibrisレーベルを離れた理由の詳細は不明です。

そんな状況の中、彼らはその2ndアルバムを仕上げることを決心する。
彼らはすでに14曲の新曲をレコーディングしていたが、そのアルバムから
6曲を省くことを決めた。メンバーによると、これについては「量より質を
重視した」とのこと。

時間のかかるExlibrisレーベルとの交渉は、彼らの契約切れの
2000年1月まで続いた。その頃彼らは、製作していた2ndアルバムを
リリ−スするため、自身のレコードレーベルを設立することを決める。
なぜなら彼らは6ヵ月もの間、''何もせずただ待っている''ことに、
新しい契約を実現させる希望を見出せなかったからである。

彼らは、この自身のレーベルに'Evil Office'と名付け、販売網として
Playground Musicと提携を結び、新レーベル設立に至ったのである。

2000年、Mewは彼らの2ndアルバム「Half The World is Watching Me」の
リリ−スを前に、アメリカで小規模のツアーを開始。彼らのすばらしいパフォーマンスは
評判となった。ツアーにはN.Y.マーメイドラウンジのギグも含まれていた。

その後も精力的に活動を続け、2001年にはついに、彼らにとっても
大きなレーベルの1つ、Epic Sonyとの契約と言う成果を手に入れたのである。

2002年、Epic Sonyから彼らのUKファ−ストシングル「Am I Wry? No.」が
リリースされる。それはすでにリリースされていた彼らの2ndアルバムの
"Half The World is Watching Me" に収録の同トラックより、わずかに
リミックスされたものだった。

これによって、UKのミュージシャン' Martin Grech 'をサポートして
UK各地のバーフライヴェニューを回る、彼ら初のUKツアーが始まったのである。

そしてMewは、自身の音楽の奥行きと力強さに加え、彼らの背後に、
ヨーナスが企画したショートフィルムを折り込むと言うステージを
体感することとなった。この演出は、彼らを様々な他のライブバンドから
際立たせるものとなり、そして各々の曲の本質を引き出し、その個性に
彩りを添え、彼らのパフォーマンスは、さらなる輝きを増すことになる。

Bo(G):『僕らはわずかにギターを教えあった程度なんだ』

彼らの音楽は今も強い感動を与え、
そのパフォーマンスは言葉にならないほどすばらしい。

The hills are alive with the sound of Mew.

このバイオグラフィーについて
2003年当時存在したイギリスのmewファンサイトの1つ
Wherever.cjb.net(現在このサイトは存在しません)に
掲載されていたもので、ウェブマスターに了解を得て当サイトに
和訳を掲載しました。Wherever.cjb.netによると、
このバイオグラフィーの一部は2000.04.14にメンバー4人によって
語られた「Mew's story」から引用した内容をWherever.cjb.netが
編集したものであり、オフィシャルサイトのmewsite.comに
了承されたものだそうです。
なお、「Mew's story」についての詳細は不明です。

和訳/MEW-SOUND.NET管理人
# by a_sound | 2005-01-01 23:59 | Mewバイオグラフィー

Introduction

+Introduction+
初めてMewを耳にした時、印象的だったのが
高揚感のあるJonasのボーカルでした。
その柔らかな歌声と対極をなすような激しく重厚感のある演奏、
メロディーとリズムが想像出来ない方向に飛び、複雑に展開する音楽。
それらも強く印象に残るものでした。
さらにライブでは、各曲に合わせた彼らのオリジナル映像が背後に流れます。

「初期の僕らのパフォーマンスは最悪で、音楽以外に何かオマケを付けないと
場が持たなかったんだよ(Jonas)」


しかしメンバーは映像に強いこだわりを持っているようです。
特にJonas(V0.)はアニメーション制作の経験があり、
映像の立案は彼が中心に行っているとのこと。
Mewの「映像+音楽の融合」は、最初から意図的な思いがあるようです。

「映像と音楽は僕らにとって常に切り離せないものだったんだ。2つを融合させて
曲の周りに独立した世界を作るんだ(Johan)」


映像が流れるためにライブ中のステージは暗く、時折彼らを照らすライトが印象的に思えます。

『イメ−ジ優先ってこともないよ。
映像によって自分達の存在を隠しているのではなく、
照明も映像も全て効果を考えてやっているんだ(Jonas)』


この独特の世界観が、Mewの魅力の1つと言えると思います。
*frengers日本盤アルバム解説/海外サイトのインタビュー記事より、一部引用しています。
# by a_sound | 2005-01-01 23:59 | Mewバイオグラフィー